ぼくらのライファン学園〜マルコフvsギーク〜
冬も迫ったある日。学園内にある武道場は異様な熱気に包まれていた。
二人の男が向かい合って礼を交わす。
「──今回こそ諦めていただきます、ギーク先生」
「参ったなあ…おじさんの人生掛かってるから手加減はできないよ、マルコフ君」
言葉と共に、火花の散りそうな勢いで殺気がぶつかり合う。集まった生徒、他オーディエンスはそのやり取りを固唾を呑んで見守っていた。
事の発端は一週間ほど前のこと。化学の担当教師であるギーク・ロウは、化学教室に持ち込んだ水煙草の装置を生徒会長(と書いてキャプテンと読む)マルコフに咎められた。
「吸うにしてもせめて放課後にしてください、いい大人なんだから!一部の生徒から苦情も来てるんですよ。休み時間は自粛してもらわないと、生徒会としても相応の対応をとらざるをえない」
「手厳しいなこりゃ。そう言われてもねえ…おじさんの唯一の楽しみだし…?」
そんな会話を化学部に所属している生徒たちは机の影で聞いていた。
「しゃあないな…じゃあこんなのはどう?」
化学教師は億劫そうに立ち上がり、キャプテン・マルコフにぐっと接近した。生徒としては体格の良いマルコフと、それをゆうゆうと見下げる細身のギークの顔の近さに、とある姉妹を筆頭とした女生徒たちは悲鳴をあげる。
「俺と剣道で勝負しな、キャプテン(生徒会長)?お前が勝ったら潔く煙草は諦めよう」
マルコフは面食らったように目を丸くし、それから呆れたように口角を上げた。
「はは!それってあんたの土俵じゃないですか、大人気ない人だ」
ギークは当然のように義手である右手をマルコフに差し出す。
「三本勝負一試合。これでどうだい?」
間髪入れずその手は力強く握られる。
「望むところです」
数々の不良生徒を力で打ち負かし改心させたと噂の生徒会長と、化学教師という地味な役職にもかかわらず破格の戦闘力を隠し持つと言われる教師。
その二人が男と男の一騎打ちを行うという噂は瞬く間に広まり、ささやかに元締の掴めない賭けが取引された。武道場を包む緊張感は、男子生徒たちの昼飯を賭けた戦いによるものでもあった。
「マルコフちゃん、悪いが負ける予定は無いからさ。部費の件考えといてね」
「そんな野暮なことするとでも?私はこの一戦に全てを注ぎますよ」
重苦しい防具から溢れ出る覇気。最前で見守る保健女医のアブサンは深くため息をつき、もはや何も言わなかった。
両者が睨み合いながらいよいよ竹刀を抜き合わせると会場のテンションは最高潮に達した。
「「先生、負けないで!」」
「ファイオーッ!頑張れカピタン!いけいけカピタン!!」
女生徒はひときわ熱狂し、大きな生徒会の旗を振る者もいる。
「Sit!気持ちは分かるが今は牡蠣のように口を噤んでいてくれると助かる、Wench(子猫ちゃん)」
「半分でもその名で呼ぶな…ああもう、悪かったですよ。
ListenToTheSea(幸運を)、Captain」
マルコフは沸き立つ観客を鎮めた。静寂が支配すると同時に、神聖な儀式のような空気が場を支配する。両者、ゆっくりと腰を落とし蹲踞の構えを取った。
しゃなりと巫女の如く前に出たのは、マルコフの推薦により主審を務めるエストレイア。普段は平和にカウンセラーをしている。
彼女は無茶振りによる初審にも関わらず緊張を全く表に出さず、ルールに則り粛々と競技を進行させていた。
闘いが始まる。
ピリリと肌の切れるような緊張感。主審、エストレイアが息を吸い込んだ。
「始め!」
「──やああぁぁっ!!」
まず仕掛けたのはマルコフだ。ギークはひらりとそれを躱し、隙を狙う。
「てエッッッ!!」
カッ!
が、すんでのところで竹刀同士がぶつかり合う。
熱量が加速し、試合は更に白熱する。
「一本ッ」
先に取ったのはやはりギークだ。しかしマルコフは目だけを獣のように爛々と光らせ、ギークを武者震いさせるのだった。
(──学生の迫力じゃねえだろ)
「ら゙ああぁぁあ゙あ゙あ゙!!!!!」
パァン、と打ち合う竹刀の重み。
弾けるような音と、鬼気迫る掛け声は武道場の外まで響いている。そのあまりの迫力に、校庭で花壇の花を世話していた園芸部員のアルバがビクッと震えてジョウロを落としてしまったのはここだけの話。
衝撃に震える窓越しに、遠く眺める影が一人。
「ぅお〜〜やってるやってる」
寒空の下、校舎の屋上特等席から人並み外れた視力でもって、試合を観戦しているのは半狼の問題児リウォンだ。ちなみに彼女はお小遣いが足りなかったので賭けには参加していない。
コーラとジャーキーを手にご機嫌な半狼は、ふわふわした尻尾を風になびかせながら男たちの運命の行く末を眺めていた。
「一本ン!」
エストレイアは何とか剣筋を追い判定を下した。少し自信は無さげだったが、打ったマルコフ、打たれたギーク、双方の剣士は抗議することなく睨み合いを続けているので合っているのだろう。
あと一本を決めた者が勝者となる。
じりじりと距離を詰める一歩が汗ばむ。
(絶対に──負けたくない!!)
そこにあったのは苦い煙草の香りでもなく、削られる予算の無粋な金でもなく。ただ男と男の、意地のぶつかり合いだった。
──パパァン!!!
一瞬で全てが決した。振り切りの速さは同じ、が、マルコフの方が一瞬たたらを踏んだ。
「……一本!勝者、ギーク・ロウ!!」
「……………っ。」
敗者は一息ごとに敗北の二文字を噛みしめる。勝者は敗者があって成り立つ勝利を心に刻む。
互いの健闘に敬意を表すがため、剣道は礼に始まり、礼で終わった。
「…ちっきしょう…!!!いけると思ったんだけどなあ…」
「危なかったねえ、はは」
「お二人共、怪我は無くって?」
「舐めてもらっちゃこまる。どっちも打ち損じるような腕してないよ」
「おや、光栄ですね先生」
「事実さ」
闘いの後の青空のような清々しさ。ギークは蒸れた髪を撫で付けた。
「にしても鈍ったなあ、マルコフ君もなかなかやるけどやっぱ年かな…」
「煙草ばっかりスパスパ吸ってるからじゃないですかね」
そんな言葉に子供のようにバツが悪そうに口角を歪める相手をマルコフは見た。
「やっぱ、そうだよねえ。…休み時間は控えよっかな。自重、あくまで自重ね」
「やっぱり大人気ないですね」
「厳しいねえ」
そうやって笑いあって、戦友は固く握った拳をコツンと突き合わせる。
そんな素敵な世界の、おはなし。