その地、永遠の理想郷なれ
ある王国に、一人の女騎士がいた。名はクヴァール=アイナ=グレゴリウス。
国一番の騎士であり王女でもある、ディアマンテ=リフル=シャッフルII世に憧れて、騎士の道を目指した。
クヴァールには、幼い頃から同じ道を志す友がいた──後に剣聖とまで讃えられる騎士、アルヴァ=クラウス=サリバン。生まれは名もない平家だったとの記録がある。
アルヴァは身分と性別を隠して騎士団に入団した。その後間もなく、アルヴァはめきめきと頭角を現し、他の団員から一目置かれるようになる。
だからアルヴァが女性であることは、当時の騎士団長とクヴァールしか知らなかった。
ヘルムの下では寂しがり屋で、意地っ張りで、笑顔の穏やかな親友の秘密を暴くことを、クヴァールは絶対にしなかった。
クヴァールは、友に一度聞いたことがある。
「皆は優秀な君を男だと信じてる。もっとも別に、君の才能は私が一番よく知っていたがね?……女がずっと"男である"のは、苦し…いや、どんな心地がするのか気になったんだ」
するとアルヴァは、
「そうだね」
と呟いて、空を飛んでいる鳥を見た。アルヴァがそのまま考え込んでいるのを、クヴァールは静かに見つめた。
「…確かに我慢が必要な"仕事"ではある。誤解させているという自覚もあるつもりだ。それでもぼくはね、クヴァール」
アルヴァは友に幼い時と変わらない、無邪気な笑顔を向けた。
「きみが女の子であるぼくを知っている限り、ぼくはいつまでも女の子でいられるし、彼らが優秀な戦士としてぼくを見ていてくれるなら、ぼくはそれに応えられる。
そしてそれらをぼく自身、何よりも誇りに思ってるんだよ」
クヴァールは、アルヴァの金糸のような髪が太陽の光に煌いているように見えた。遠い昔、アルヴァが『国を守る、君を守る、騎士になる』という夢を語った時と全く同じ瞳の輝きに、クヴァールもまたにっこりと微笑み返すのだった。
それからしばらくして、戦争が起こった。
東からやってくる野蛮で、凶悪な悪意の群れ。騎士王女の命を受け、それらから国境を防衛するべく騎士団は戦に赴いた。
クヴァールたちは異形の化物、残虐な戦鬼たちを相手に奮闘した。
そんな中、アルヴァが敵の刃に倒れた。
敵の闇魔術にとっさに対応できなかったクヴァールを庇って、彼女は親友の目の前で死んだ。
クヴァールは、前線のテントに安置されているアルヴァの遺体に縋り付いて泣き喚くことしかできなかった。
それから毎晩、クヴァールは悪夢に苦しんだ。アルヴァの死の瞬間だ。友が血反吐を吐いて、最期に息も吸えず、苦しげに眉を寄せてこちらを見上げる瞳。
戦争に勝った後、殉職したアルヴァに、騎士王女から遺憾と慰めの言葉が送られた。騎士団員たちは一人残らずアルヴァの死を嘆き、英雄として讃え、アルヴァは死後、最上級騎士"剣聖"の称号が与えられた。
全ての人間がアルヴァの死を悼んだ。そしてクヴァールは──亡き友の敵を討ちにいった。
狙うは邪悪な国の国王"シュテン"の首。クヴァールは正気ではなかった。例え敵地で無残に独り死んだとて、それでも良かった。
じきに、友を失い死に場所を探しにきた、哀れな女をシュテンは捕らえた。
そして──気まぐれにその耳元に囁いた。
「わたしの兵が殺めたのは、そんなにも赫々(しゅくしゅく)たる戦士であったのかのう、勇敢な御人よ?」
クヴァールは激昂して喚いた。叫んだ。シュテンの首に噛みつかんばかりに、アルヴァがいかに偉大で、幼少の時期から輝かしい人間だったのかを。
いつの間にか大粒の涙を零すクヴァールに、シュテンは悲壮感たっぷりと、こう告げた。
「…お気の毒に。まことに、お気の毒であるな?我の力ならばその人間、甦らせることが可能であろう」
そこからのことを、クヴァールはよく覚えていない。
シュテンが何か呪文を唱えて、思考にもやがかかったようになる。反面、自分のするべきことは青空のようにはっきりしていた。
『全ての人が望むこと。アルヴァを蘇らせることこそが絶対の正義である』こと。
そしてそのために、『自国の領土の国宝─蒼の秘石ランドピースを奪取しシュテンに貢ぐ』こと。
( …………。)
( わたしは、どこで間違ってしまったのだろう。)
( わたしが騎士になるなどと言わなければ。わたしがもっと敵の魔術について詳しかったら。)
( ……あの時わたしが、死んでいれば。)
わたしは国を裏切った。正義のために。
国宝を盗んだ。正義のために。
かつての味方に剣を向けた。正義のために。
尊敬する騎士団長にも剣を向けた。正義のために。
……………。
…その全てが間違っていたと気づいたのは、シュテンに国宝を捧げんとする直前だった。
「友との再会は果たせようぞ。─あの世でな!!!」
「嫌…だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだ」
クヴァールの頭の中で何かが切れた。それはひどく嫌だった。命を奪われるのは嫌だった。全てを奪われるのは、嫌だった。
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!!」
シュテンの一太刀を受けたのは、騎士として恥ずべき背中だった。
冷たい床に転がった体躯が血を失いつつあるのを、クヴァールははっきりと知覚していた。痺れて動かない手から、秘石の入った革袋が取り上げられる。
「───ごめん、なさい。わたしの─剣、聖──」
あなたの守ろうとした国を。騎士の誇りを。そして、私自身を。
その全てを蔑ろにした私は、きっと地獄行きだろう。
……向こうでも会えなくて、独りにさせて。
ごめんなさい。